「政治」は自分には関係ない、と思っていませんか?
実は大いに関係があります。
「政党に所属する」こと、
「選挙に関わること」だけが政治ではありません。
近代のテーマこそ「POWER」
権力闘争・資源の分配に力点が置かれるようになりましたが
約3000年前には既に論じられていた
「政治」の本来の意義は「調停」。
それが、本来の「政治」の姿でした。
地球上には、たった一人ではなく、
多くの人々が共存しています。
全員が「ありのまま」「思うがまま」に振る舞っては
当然、衝突が起こる。
全員にとって「ベスト」な状態というのは難しい以上、
「ベター」を目指さなくてはなりません。
そうした着地点・妥協点を見いだすこと。
折り合いのつく取り決めを行うこと。
元々は、それを「政治」と言ったのです。
今日では「交渉術」「コミュニケーション術」
というジャンルが成立していますが。
元来、それらは「政治」に含まれていました。
国家間、都市間のみならず
職場、PTA、ママ友、学校のクラスの間でも
他者との交渉、すり合わせが必要な事例は
どこにでも発生します。
意識していなくとも
そこに発生しているのは「政治」的駆け引きです。
「どうせやらなきゃいけないなら、楽な時期に
重めのPTA役員を引き受けておこう」
「面倒な会議・役割は、あの人に押し付けよう」
「その案件を引き受ける代わりに、
こっちの案件を受けてもらえないか?」
他者との関わりを持って生きていく以上、
誰であろうと無関係ではいられません。
それなのに、なぜ私たちは「政治」が
「自分には関係ない」と思ってしまうのでしょう?
それは、権力闘争や資源の分配といった
「POWER」の側面にばかり目がいってしまい
「本来の『調停』の意味合いを知らない」もしくは
「その要素を見失っている」からではないでしょうか?
あるいは、
政党本位の考え方が身についた人たちの言動が
「政治」に対するネガティブなイメージを
一般の人たちに植え付けているのではないか?
冷静ではない政党活動に依った人々と
同列・同類に見られることに対する過度な恐れが
今の「政治」への忌避反応や
「政治離れ」を生んでいるのではないか?
そのように思うのです。
本来「政治」は、決して他人事ではありません。
空気のように、私たちの身近にあるものです。
私が成し遂げたいのは、
目的のための「調停者」としての政治です。
「自分たちには関係ない」「どうせ何も変わらない」
そんな堅いドアを開けようとすることが、私の政治活動です。