今年2019年4月は
4年に一度の「統一地方選」です。
知事選、都道府県議選、市町村長選、市町村議選
途中退任などで時期がずれているもの以外
日本全国で時期を同じくして行われます。
そうした中、必ず全国各地で出てくるのが
「サラリーマン感覚」という単語です。
これは、聞いていて非常に
気恥ずかしい感覚を覚えます。
政治の世界では当たり前なのでしょうが
長年、勤め人として経済界の端くれにいた人間としては
「サラリーマン」という単語が、ダサい。
「サラリーマン」言っている時点で、一般市民と感覚ズレている。
そのように感じるのです。
何がいけないのか、分かりますか?
もそも「サラリーマン」は和製英語ですので
国際化社会にはそぐわなくなっているのですが。
「ポリティカル・コレクトネス(政治的な正しさ)」という概念や
「ポリ・コレ」を扱った童話のリライト「政治的に正しいおとぎ話」が
1995年には翻訳され、流行しました。
アメリカでは、過剰に「ポリ・コレ」を振りかざす人への鬱屈が
トランプ大統領の人気に繋がっている、という見方もありますが。
そうした「性差などの、いろいろな差別・偏見を排除する」流れから
政治的・社会的に、公平・公正であろうする人たちの間では
「ビジネスマン」「サラリーマン」「カメラマン」といった
「―マン(man)」という単語は使われなくなってきています。
そもそも、当該仕事に従事するのは、男性とは限りません。
(逆パターンに「看護婦」→「看護師」があります)
「カメラマン」ではなく「フォトグラファー」
「サラリーマン・ビジネスマン」ではなく「ビジネスパーソン」
そのような潮流の中
「サラリーマン感覚」と言っている時点で
「公平・平等意識への感度が低い」
「女性を低く見ている(単なる無知や無自覚で、ご本人はそんなことを意識していないにしても)」
「現場から離れて久しいのか、今の感覚ではない」
と、私には思えるのです。
また「継ぐべき会社があって、代替わりまで外の企業に勤めていた」
「大企業・外資系に勤めていて、かなりの高級取りだった」
そうした、一般的ではない方のほうが、ことさらに
「サラリーマン感覚」を強調されるように観察されます。
そうした方々が、果たして一般会社員の代表として
感覚を伝えられるのかは、疑問です。
いずれにせよ、感度の高い企業では、
社内で使われる用語においても
既に「ポリ・コレ」が意識され、統一されています。
「経済」の世界ですら、そうなのですから
「政治」の世界に関わる方こそ
公平・平等意識に敏感であってほしい、と願います。
こうした観点から、私には
「会社員」「ビジネスパーソン」
という言い方をされる方の方が、親しみが持てるのですが。
あなたの身近に、まだ「サラリーマン感覚」は残っていませんか?
4月に始まる統一地方選挙が楽しみです。