現在2023年4月23日投開票・帯広市議会議員選挙に挑戦中!

選挙時期になると信教告白にドキッとする件

政教分離と言いながら

日本には、宗教じみた政党や

宗教団体の政党も存在するわけですが

 

思想・信教の自由がある国で

誰が何を信じるのも

どういう思いを抱くのも自由です。

 

それ自体が悪いと言うよりも

比較的思いの強い方々が

「コレを信じないないんて!」「信じなさい!!」

と、平気で人の陣地を侵害することが問題なのではないかと思います。

私は、広瀬すずちゃんも「なつぞら」も好きですが

合わない人だっているわけです。

 

それをまるで「あなたが無知蒙昧だから知らないだけ」

「この良さがわからないなんて、とんでもない!!」

とばかり、マウンティングをかけてくる。

 

しかし大抵の日本人は「余計なお世話です」とも

「あなた様よりもハイスペックな目も耳もついております」

とも、なかなか言えません。

 

そうした「声の大きい少数」に

「声なき大衆」が圧迫されたり不快な思いをさせられることに

私は憤りを感じるのです。

 

 

「声の大きい」方々は、自分たちの思いが広がらないのを

誰かや政府の陰謀だと仰るのが好きなのですが

 

「声なき大衆」側が侵略戦争を仕掛けることは

まずありません。

 

手段が攻撃的・暴力的な方々が

いくら「平和」や「愛」を謳っていても

私は信ぴょう性を感じません……。

 

(選挙はどうとりつくろっても平和的手段ではなく、合法的な戦争です)

 

どんなにテーマが「LOVE & PEACE」といったものでも

集団で「LOVE & PEACE!!」とデモ行進をしていたら

そこに「愛(LOVE)」や「平和(PEACE)」はあるのかい?

というお話。

 

「思いやりある社会」

「自由な社会」というのは

 

自分ばかり好き勝手に振る舞うのではなく

(地球上に人間が1人しか存在しないのならそれも有りでしょうが)

 

そちらの発言権も認めるので

「耳を貸す・貸さない」「信じる・信じない」

といった、他者の自由も認める

 

ーーそれが、他者と共存する世界下での

「自由」ではないのでしょうか?

 

それはさておき、

「政治・宗教の話はタブー」と

一般的に言われておりますが

 

選挙の時期驚きますのは

そのデリケートなはずの話題がバンバン

オフサイドをかましてくることです……。

 

「(○○党の)□□をよろしく!!」

と、選挙になったら急に出してくる方がいらっしゃいますが

 

「うわっ!! この人、○○党だったの!?」

と、一般市民は無茶苦茶ドキドキします!!

 

自分が応援される(団体の)方を当選させようと

必死なのは分かりますが。

 

「信教告白を望んでいない」

「信教告白を受け止めきれる関係性ではない」

そうした場合がございます。

 

誰もが政治・宗教に対してフラットではない。

「◯◯党」「◯◯教」というだけで

「ウゲッ!!」と思う方もいますし

 

そもそも世の中には「立候補」「政治を志す」というだけで

「ウゲッ!!」と拒絶反応を起こす人はいます。

 

どことも限らず政党・宗教に所属しているというだけで

「ウゲッ!!」となる人もいます。

 

「自分は平気」「そんなの大したことじゃないのに」

という人はいても、人の許容値は様々です。

 

そうした個人差も考慮しつつ

そうした心の障壁に引っかかった際

 

「別にそれは知っているけれど

その人のことは人として好きだし

別にそのことを差し引いても、付き合い続けたい」

という

 

「そんなの関係ねぇ!」という境地に至るかは

よほどフラットか、関係性が深くなければ

なかなか至らない境地。

 

SNSも、全ての人が同じ距離感とも限りません。

全ての人が同じ理解・好感を抱いているわけではありません。

 

これは、どこかに所属することが悪いだとか

信教告白してはいけないという話ではなく。

 

それだけで「ウゲッ!!」となる人がいて

今後の人間関係・信用問題に関わること。

 

発信する際は、慎重さをお願いしたい。

 

ーーというお話しでした。

 

映画でも、幽霊だとかゾンビだって

出てくるときほのめかすんだから

 

出すなら普段から出すか、それとなくほのめかすか、

周囲への気遣いをお願いしたいです。

 

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