政教分離と言いながら
日本には、宗教じみた政党や
宗教団体の政党も存在するわけですが
思想・信教の自由がある国で
誰が何を信じるのも
どういう思いを抱くのも自由です。
それ自体が悪いと言うよりも
比較的思いの強い方々が
「コレを信じないないんて!」「信じなさい!!」
と、平気で人の陣地を侵害することが問題なのではないかと思います。
私は、広瀬すずちゃんも「なつぞら」も好きですが
合わない人だっているわけです。
それをまるで「あなたが無知蒙昧だから知らないだけ」
「この良さがわからないなんて、とんでもない!!」
とばかり、マウンティングをかけてくる。
しかし大抵の日本人は「余計なお世話です」とも
「あなた様よりもハイスペックな目も耳もついております」
とも、なかなか言えません。
そうした「声の大きい少数」に
「声なき大衆」が圧迫されたり不快な思いをさせられることに
私は憤りを感じるのです。
「声の大きい」方々は、自分たちの思いが広がらないのを
誰かや政府の陰謀だと仰るのが好きなのですが
「声なき大衆」側が侵略戦争を仕掛けることは
まずありません。
手段が攻撃的・暴力的な方々が
いくら「平和」や「愛」を謳っていても
私は信ぴょう性を感じません……。
(選挙はどうとりつくろっても平和的手段ではなく、合法的な戦争です)
どんなにテーマが「LOVE & PEACE」といったものでも
集団で「LOVE & PEACE!!」とデモ行進をしていたら
そこに「愛(LOVE)」や「平和(PEACE)」はあるのかい?
というお話。
「思いやりある社会」
「自由な社会」というのは
自分ばかり好き勝手に振る舞うのではなく
(地球上に人間が1人しか存在しないのならそれも有りでしょうが)
そちらの発言権も認めるので
「耳を貸す・貸さない」「信じる・信じない」
といった、他者の自由も認める
ーーそれが、他者と共存する世界下での
「自由」ではないのでしょうか?
それはさておき、
「政治・宗教の話はタブー」と
一般的に言われておりますが
選挙の時期驚きますのは
そのデリケートなはずの話題がバンバン
オフサイドをかましてくることです……。
「(○○党の)□□をよろしく!!」
と、選挙になったら急に出してくる方がいらっしゃいますが
「うわっ!! この人、○○党だったの!?」
と、一般市民は無茶苦茶ドキドキします!!
自分が応援される(団体の)方を当選させようと
必死なのは分かりますが。
「信教告白を望んでいない」
「信教告白を受け止めきれる関係性ではない」
そうした場合がございます。
誰もが政治・宗教に対してフラットではない。
「◯◯党」「◯◯教」というだけで
「ウゲッ!!」と思う方もいますし
そもそも世の中には「立候補」「政治を志す」というだけで
「ウゲッ!!」と拒絶反応を起こす人はいます。
どことも限らず政党・宗教に所属しているというだけで
「ウゲッ!!」となる人もいます。
「自分は平気」「そんなの大したことじゃないのに」
という人はいても、人の許容値は様々です。
そうした個人差も考慮しつつ
そうした心の障壁に引っかかった際
「別にそれは知っているけれど
その人のことは人として好きだし
別にそのことを差し引いても、付き合い続けたい」
という
「そんなの関係ねぇ!」という境地に至るかは
よほどフラットか、関係性が深くなければ
なかなか至らない境地。
SNSも、全ての人が同じ距離感とも限りません。
全ての人が同じ理解・好感を抱いているわけではありません。
これは、どこかに所属することが悪いだとか
信教告白してはいけないという話ではなく。
それだけで「ウゲッ!!」となる人がいて
今後の人間関係・信用問題に関わること。
発信する際は、慎重さをお願いしたい。
ーーというお話しでした。
映画でも、幽霊だとかゾンビだって
出てくるときほのめかすんだから
出すなら普段から出すか、それとなくほのめかすか、
周囲への気遣いをお願いしたいです。