社会が悪いのは「政治家が悪い」
という言い方が、よくなされます。
投票権を持っている方々が、
自分が「いい」と思っている方に投票しているはずなのに
どうして世の中は良くならないのでしょう?
仕事をしないだとか、不勉強だとか
政治・信条自分の意に沿わないだとか、
「悪い」の定義は各人に依りますが
決して少なくはない方々が
「悪い」政治家に投票したから
今があるのではないでしょうか?
では、その政治家に「力がない」「悪い」と思いながら
あるいは無関心から
その世論や下馬評を覆すことができなかった大衆に
責任はないのでしょうか?
(感情的に説得力を欠いた形ではなく)
世間に強く訴え、当選しないように
働きかけることをしたのでしょうか?
無関心だとかを理由に「投票に行かない」というのは、
消極的にも、従来の政治を肯定していることになる
ーーそのことを知ってほしいと思います。
「投票したい人間がいない」という方も
では、どうして「よくない方」ばかりに任せ
ご自身が立候補されなかったのでしょう?
「誰もいないから投票に行かない」
それは、消極的にも
多数派に賛成されているのと同じことです。
今の政治は、少しずつ見逃してきた、
今までの大人の責任と言えるのではないでしょうか?
ですから、政治家だけが悪い、
と私は思いません。
政治が悪い・社会が悪いというなら、
社会をそのようにする方々を選んでこられた方にも
責任の一端はあるはずです。
ご自身たちが投票してこられた
(「悪い」候補に投票しないよう啓発しきれなかった)
結果があっての今があります。
確かに子供の時は、「大人が悪い」「理解してくれないのが悪い」
そんなふうに思うことが多々ありました。
自分で決められることも少なく
余計に、そんなふうに閉塞感を感じたのでしょう。
ですが、大人になるにつれ、
「人のせいにしてはいけない」ということを学んで来ました。
理解してくれるように説明の仕方を考える、
ということも学びました。
ですが、「政治」というものを考えるにあたって
私もまた、他人事のように思っていることに気づき愕然としました。
自分もまた、責任ある大人になっていたのです。
しかも選挙権を得てから、18年もの年月が経っていました。
私にもまた、
「政治なんて自分と関係ない」
「政治はつまらない」
「どうせ投票しても何も変わらない」
と放置してきた責任があります。
自分が変えようと思って主体的に関わってこなかったにもかかわらず
「変わらない」と嘆いている。
「誰かが悪い」そんなことを言っている
大人は、みっともないのでは。
そんな大人であることを辞めようと思いました。
「政治活動なんて格好悪い」
「一部の特殊な人だけのもの」
「政治とか言っているのは特殊な意識の高い人」
そう思って敬遠してきました。
正直に言うと、今でも抵抗があります。
ですが、つまらないなら面白くすればいい。
関係ないというなら、自分たちが主体になればいい。
変わらないと言っている暇があったら、変えようと努力すればいい。
日本は、政治家を選ぶ権利は、私たちにあります。
自分が「いい」と思える人に投票する。
それだけで何かが変えられるかもしれません。
4月7日に統一地方選挙・第1弾が終了しましたが
次は4月21日(日)
十勝では、町村長と市町村議選挙です。
後の人たちに誇れるバトンを渡せるよう
後悔しない未来を選びましょう。